東京バロック・スコラーズ
レクチャー・コンサート「バッハとパロディ」原稿
三澤洋史
第一部
演奏 ブランデンブルク協奏曲第三番BWV1048
新しい協奏曲のあり方
みなさん、今日は!ようこそ東京バロック・スコラーズのレクチャー・コンサート、「バッハとパロディ」にお越しいただきました。
ただいま聞いていただきましたブランデンブルク協奏曲第三番は、六曲あるブランデンブルク協奏曲の中でも特にユニークな作品です。
三つのグループ、すなわち三本ずつのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、そしてそれを支える通奏低音コントラバスとチェンバロという変則的な編成の楽器達が、時には一人づつ合奏から浮き出て超絶技巧のソロを取ったり、グループごとに競い合ったり、また合奏に戻ったりと自由自在です。この非凡さがこの曲の特徴です。
バルトークに「オーケストラのための協奏曲」という曲がありますが、この作品はその先駆けでしょう。まさにこれは協奏曲という概念に対する挑戦であり、新しい協奏曲のあり方を示した希有なる作品と言えるのではないでしょうか。
え? パロディ?
私たちは当然、こういう曲はこの目的でのみ書かれたと思いますよね。ところが、本日のテーマである「バッハとパロディ」というタイトル通り、この作品は、後にカンタータ第174番の一曲目に転用されており、しかもそこにはSinfoniaというタイトルが付けられています。
協奏曲concertoという言葉は、Conお互いにCerto競う、争う、議論する、というラテン語から来た言葉です。基本的に競い合うのが協奏曲。一方Sinfoniaは、Sin共にPhon音、響き、すなわち響きが交じり合い溶け合うという意味の楽曲です。
このふたつの概念は互いに対立し合うものなので、この一見協奏曲らしくない曲にあえてバッハが“協奏曲”と名付けたのを評価していた私は、ある日、彼がこの曲のパロディにSinfoniaと名付けていることを知って愕然としました。
「意外と適当に作っているんだなあ。」
と思って幻滅しました。
避けて通れない問題
バッハを語る時、パロディの問題は避けて通れないだけでなく、むしろ真っ先に語られるべき問題です。でも、これまで意識的に避けられてきたのは、今挙げたように、この問題に踏み込み始めると、私たちがバッハという作曲家に抱いていた夢がかなり壊れるからなのです。
でも、ここをしっかり認識しないと、私たちの本当のバッハへの理解は先に進みません。そこで東京バロック・スコラーズでは、「21世紀のバッハ」として真っ先にこの問題に取り組み、こうして講演会とレクチャー・コンサートを組んでみました。
調べてみればみるほど、バッハの創作過程は転用、改作すなわちパロディに充ち満ちています。あまりいろんなところでいろんな曲を使い回しするので、バッハは本当は一体何曲作ったのだ、パロディを全部まとめると彼の作品は半分くらいになってしまうのじゃないかと思うほどです。
先日、東京バロック・スコラーズでは、同じ「バッハとパロディ」というタイトルで、礒山雅先生による講演会を行いました。その中で礒山先生がこうおっ しゃいました。
バッハの生前、公に出版されている曲はわずかであった。つまりバッハの曲のほとんどは、一度上演されても次に機会がない限り、二度と上演されないで埋もれてしまう可能性があった。だから彼が、過去に自分の書いた音楽の中からうまく出来た曲を、なんとか形を変えてでも上演したいと思っていたとしても不思議はない。
私はそれを聞いてなるほどなと思いました。バッハのパロディの元曲の中に世俗カンタータがあります。カンタータを注文した領主や貴族は、当然自分のためにオリジナル曲を要求するので、世俗カンタータはほとんどオリジナル曲です。しかしそれだけに、その特別の機会に上演されてしまうと、もう二度と上演される可能性がないのです。現代のようにCDにして売り出すというわけにも、インターネットで配信するというわけにもいかないのです。
バッハは1723年にライプチヒの聖トーマス教会の楽長に就任します。楽長になりたての頃は、毎週のように新しいカンタータを作曲し、上演していたと言われています。その際、かつての世俗カンタータを教会カンタータによく転用しました。
教会カンタータであれば、少なくとも一回こっきりではなく繰り返し上演される可能性がある。それに、かつてケーテンで書いた作品をライプチヒで上演しても誰も分からないだろうということもあります。
ただ教会カンタータにも制約があります。一年の内、教会暦できまった時期にしか上演出来ないのです。でももしミサ曲であるならばどうでしょう。その気になればいつでも上演可能なミサ曲は、カンタータよりははるかに上演の可能性が高いのです。
そこでバッハはいくつかのカンタータの主な曲を組み合わせて、カンタータのハイライト集のような形でミサ曲を作り上げました。ということはミサ曲はパロディの終着点と言えるかも知れません。
カンタータ第187番について
今日は、バッハの小ミサ曲の最も傑作とされているト短調ミサ曲に焦点を当て、この成立過程を探りながら、バッハが具体的にどのようにパロディを行っていったかを皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
まず始めに、皆さんにカンタータ第187番を聴いていただきます。ト短調ミサ曲はKyrie、Gloriaの合唱曲に続いて三曲のアリアが続き、最後にCum Sancto Spirituの合唱曲で終わりますが、後半の三つのアリアと最後の合唱曲の元曲がこのカンタータ第187番から使い回しされています。
ミサ曲では終曲に使われているCum Sancto Spirituは、カンタータではむしろ冒頭を飾る合唱曲でありました。そしてバスのレシタティーヴォに続き、ミサ曲で使われている三曲のアリアが順番を変えて登場します。引き続いて弦楽器の伴奏を伴ったソプラノのレシタティーヴォ。そして最後に単純なコラールで終わります。
特に冒頭の合唱曲とアルト、バス、ソプラノのそれぞれのアリアに注意して聴いて下さい。ではカンタータ第187番を演奏いたします。
演奏 カンタータ第187番
第二部
演奏 モテット第六番
二つのポイント
私はバッハが残した六つのモテットに、“声楽によるブランデンブルク協奏曲”という位置づけをしています。これらの曲は声楽曲における最高峰です。このモテットの中に、バッハが声楽曲を作っていく創作過程において、本日のテーマに通ずる二つの大事なポイントを見ることが出来ます。
歌詞からモチーフを
ひとつは、バッハがオリジナルの声楽曲を作る際、まず歌詞からモチーフを作り出すという点です。その場合、原則はひとつの歌詞に対してひとつのモチーフです。
冒頭の、
Lobet den Herrn, alle, alle Heidenという歌詞にはこういうメロディ(歌う)。
次に、
Und preiset ihn, alle Völker,alle Völkerという部分が来ます(歌う)。
次の、
Denn seine Gnaden und Wahrheit waltet über unsという歌詞になると曲調がガラッと変わってこんな風になります(歌う)。
永遠にという意味のIn ewigkeit には長い音符があてがわれています。
このように、バッハは言葉の持つリズムや語感をふくらませて主題を形作って行きました。
曲を組み立てる
さて、もうひとつの点ですが、そうやって作られたモチーフを使って、今度は実際に曲にしていくわけです。作曲することを英語でcomposeと言います。composeとは「組み立てる」「構成する」という意味です。作曲家は、単にインスピレーションだけで全て曲を作り上げるわけではありません。美しい主題を美しく展開、発展させてひとつの楽曲に仕上げるためには和声学や対位法などの“熟練した作曲技術”というものが必要になってきます。
この点に関して、バッハは、歴史上の全ての作曲家の中でも抜きんでたテクニシャンでした。彼はどんなモチーフからでも最高の音楽を紡ぎ出すことが出来たのです。
それなので、個々のモチーフは言葉に従って作られていますが、これが発展してひとつの楽曲として仕上がってみますと、バッハの場合、それがいわゆる絶対音楽としての揺るぎないたたずまいを持つのです。
一度絶対音楽として完成してしまうと、このモテットを仮に言葉を取り去って器楽だけで演奏したとしても、充分鑑賞に耐え得るものとなります。もう一歩踏み出して、今のモテットの最初の歌詞をLobet den Herrnではなく、たとえばGloria in excelsis Deoにしても(歌う)、言葉とモチーフとの最初の関連性は薄れるかも知れませんが、曲としては成り立つのです。
この点が、バッハの作風がパロディを容易にしている理由です。要するにバッハの音楽の持つ絶対音楽性が、曲を取り巻く環境がどのように変わってもその価値を失わせないということです。
さらに補足的に言うと、バッハの声楽曲における作曲方法は、シューベルトやシューマンの歌曲のように、歌詞に対してべったりの関係にはありません。主題は歌詞から導き出されてはいますが、歌詞の意味に“情緒的に”和声などで反応しているわけではないし、そもそもバッハの対位法的作風の場合、主題を展開するやり方は、歌詞から一定の距離をおいて行わないと出来ないのです。
カンタータ第102番の三つの主題
さて、だんだん本題に入って、ト短調ミサ曲に近づいていくことにしましょう。これから皆さんに、ミサ曲の第一曲目Kyrieの元曲であるカンタータ第102番冒頭合唱を聴いていただきます。この曲はほとんど調性もオーケストレーションもそのままのパロディなので、比べやすいのです。
この曲には重要な三つの主題があります。その主題が生まれたモチベーションは、さっきのモテットの例と同じにテキストから来ています。最初の歌詞はこうです。
Herr, deine Augen sehen nach dem Glauben
バッハは作曲するにあたってこの歌詞を何度も読んだことでしょう。この歌詞はちょっと字足らずなので、どこかで伸ばさなければなりません。
He-eerr, deine Augen seeeeehen nach dem Glaubenと読んで最初のアルトのメロディーが生まれました。それから、
Herr, deine A-a-augen, sehen nach dem Glaubenと読んで次のメロディーが生まれました。これがこの曲の基本的な主題です。
その後に、Du schlägest sieのフーガ主題が現われます(歌う)。これが第二の主題。
さらに、
Sie haben ein härter Angesicht denn ein Fels, und wollen sich nicht bekeh-------ren「彼等は岩よりも厳しい顔をして、神に立ち帰ることなど望まない」
という歌詞の新しいフーガ主題が現れます。これが三つ目の主題です。
この三つの主題を頭に置いて、カンタータ第102番からの冒頭の合唱曲をお聴き下さい。
演奏 カンタータ第102番
パロディの実践
さあ、材料は揃いました。いよいよ本論に入ります。
ト短調ミサ曲第一曲目のKyrieは、今演奏したカンタータ第102番の冒頭合唱からの転用です。
第二曲目のGloriaは、カンタータ第72番の冒頭合唱からの転用。
第3、4,5曲目のアリアと終曲Cum Sancto Spirituは、第一部で演奏したカンタータ187番からの転用です。つまりこのミサ曲にこの為に書かれたオリジナル曲はひとつもありません。
しかし出来上がってみると、ト短調ミサ曲はあたかもこのために作られたかのような見事な統一感を持っています。どうしてそんなことが可能なのでしょうか?
バッハの頭はコンピューター
その答えは二つあります、一つは、バッハがまるでコンピューターのように自分の頭の中に作品目録を持っていて、さらにいつでもふさわしい時に最もふさわしい曲を選び出せる検索能力をも持っていたということです。
例えば、互いに全然違う出所から持ち出されたミサ曲の第一曲目と終曲は、元々調性が一緒なだけでなく、同じようなモチーフ(歌う)が使われているので、この二曲を冒頭と最後に使うことで統一感を図れるのです。それでいてこの二曲は、テンポも全然違うし、基本主題も違います。つまり統一感と発展性においてこの二つは絶妙なのです。
普通の作曲家は、こんなシチュエーションにドンピシャリな曲を自作の中から探すくらいなら、いっそのこと新しく作った方が早いのですが、バッハには、すでに作っておいたストックが沢山あるので、そこから引っ張り出してくればよかったのです。
現代のように著作権もジャスラックもないので、彼の中にはパロディに対する罪悪感のようなものは一切ありませんでした。ただ自分のかつて作った曲に何とか再び陽の目を見せたいという気持ちだけがあったと思います。
変更と卓越した編曲能力
もう一つの答えは、パロディを組み合わせる際に、バッハが行う細かい変更にあるのです。パロディとパロディの接合部分にギクシャクした部分があったとしても、バッハは彼の素晴らしい編曲能力によってそれを見事に克服しています。
実際にバッハが三つのカンタータからこのミサ曲を作り上げる際、どんな変更を行ったか見てみましょう。
まず三つの冒頭合唱ですが、皆それぞれカンタータの最初を飾る立派な前奏部分がついています。でもそれをそのまま使うのは第一曲目Kyrieのみで、あとは思い切って前奏部分をカット。いきなり合唱部分から出ます。
第二曲目Gloriaは元々カンタータ第72番ではイ短調でしたが、一音低いト短調に全体が移調されています。その際、途中で現れる「神の意志は私を静かにさせる」の穏やかな部分が、「地には御心にかなう人々に平和あれ」の歌詞と見事にマッチしました。
第三曲目バスのアリアは、カンタータ187番から転用される時に、ト短調から完全四度低いニ短調に移調されました。カンタータでは、最初にバスが最高音域に近いレから歌い出しましたが、ミサ曲では中音域のラから出てきて、全体的にも中音域を中心とした穏やかな感じに仕上がっています。
四度も低いと、それだけで印象はかなり違います。これはミサ曲の「感謝したてまつる」という歌詞に寄るところが大きいと思います。だから私もカンタータよりはすこしくつろいだ気持ちでゆったり演奏します。
次にアルトのソロが続きます。これは始まりこそ同じですが、後半からはまるで別の曲のように変更されています。カンタータではシンプルな三分形式でしたが、ミサ曲では、後半は陰影に富んだ複雑な音楽となります。オーボエに独立した動きを与えられているのも特徴です。こうなるとほぼ新しく作曲したも同然ですね。短調に傾いていく背景には、「我らを憐れみ給え」という歌詞がモチベーションとなっているのでしょう。コロラトゥーラで始まるアルト・ソロを受け て、私はこの曲をカンタータより早いテンポで演奏します。
カンタータでソプラノのソロだった第五曲目の美しいアリアは、ミサ曲ではテノールになっています。そしてカンタータでは8分の3拍子の後、再び最初の曲に戻ってくるのですが、ミサ曲ではその部分を完全にカット。そのまま終曲になだれ込んでいきます。
終曲は、カンタータの長い前奏を省いた代わりに、前のアリアの変ホ長調をうける形で、平行調のハ短調から始まる7小節の合唱部分が追加されています。
このように細かく変更することで、全く別の内容を想定して書かれたカンタータが、見事に統一の取れたミサ曲に仕上がりました。
薄れる歌詞とモチーフとの関係
さて、転用することで歌詞とモチーフとの関連はオリジナルより薄れることになります。特にミサ曲ではそれが顕著に見られます。
先ほど、カンタータ第102番の演奏前に、三つの主題を紹介しましたが、これらはミサ曲では、Kyrie eleison,Christe eleison,Kyrie eleisonの三つの歌詞に置き換えられています。でも元々この三つの歌詞は似ているので、新しい主題が出てきても、歌詞の面からの新鮮さに乏しいのが残念です。
終曲Cum Sancto Spirituの後半では、カンタータ第187番の時は新しい歌詞に対応して、
Wenn du ihnen gibest, so sammlen sie
という新しいフーガ主題が出てきましたが、ミサ曲では残念ながら新しい主題に対応する歌詞は冒頭と同じ、
Cum Sancto Spiritu のままです。
こういう点だけを見ると、バッハが転用を行うことでむしろ作品を退化させたようにも見えますよね。でもこれはある意味意図的で、バッハは意識して歌詞とモチーフとの密接な関係を断ち切っているようにも見えるのです。何故でしょうか?
それは、バッハがラテン語に作曲する時の態度によるものだと私は考えます。それを語る前に、プロテスタンティズムとカトリシズムについて少し説明しないといけません。
プロテスタンティズムと民衆
バッハは元来プロテスタントのルター派教会に属し、宗教改革の旗手マルティン・ルターを高く評価していました。ルターはキリスト教を一部の聖職者のものから民衆のものに解放し、民衆が積極的に礼拝に参加出来るように、聖書をドイツ語に訳したりコラールを編纂したりしました。
バッハもその精神を受け継いでいます。ドイツ語の教会作品を作り、その中でコラールを積極的に使用しています。その意味では彼もドイツの民衆と共にあったのです。
しかし芸術家としてのバッハは、その限りなき高みを持つ彼の芸術性故に、いわゆる大衆性と相容れない要素を抱えています。誰にでも歌えるように作られたコラールは、それ故に単純であり、そのままでは作曲家としての手腕を充分発揮出来るとは言えません。
そこでメロディーはそのままでも、ハーモニーを複雑にしたり、コラールのメロディを使いながら大胆な編曲をするコラール幻想曲という形式で作曲したり、バッハもいろいろ苦労しています。
それでもバッハと大衆性とのギャップは埋まらなかったように思います。バッハがライプチヒのトーマス教会である意味不当に評価されていた背景には、当時の民衆の理解度の低さだけではなく、こうした教会の方向性も関係していると思います。
カトリシズムと空間
一方、カトリック教会では、礼拝の最高形式として今日までも行われているミサというものがあります。ミサの中では、宗教改革前からパレストリーナのような高度な対位法音楽がプロの聖歌隊によって歌われていました。ルターは、会衆がバルコニーから流れてくる音楽を受動的に聴いているだけの状態が嫌で、単純なコラールを作ってみんなに能動的に参加させましたが、それが逆にルター派教会の音楽の質を低下させたという側面もあるのです。
カトリック教会では、民衆を彼等のレベルのままにおいておき、そのことで教会の権威を保っていました。それが教会の腐敗などの温床になっていたのですが、皮肉なことに芸術に関して言う限り、ルターが切り落としてしまった部分が以外と大事だったのです。
つまりカトリック教会では、音楽が民衆に迎合する必要がありませんでした。その証拠として、近代に至るまでミサ曲を中心として数々のカトリックの名曲が生まれていますが、バッハ以後ルター派教会からは、すぐれた芸術作品はあまり出ていません。
さらにカトリシズムについて語ってみます。最近よくカトリシズムと禅との関係が語られますが、私はカトリシズムというのは“空間”だと思っています。言葉を重ねて地上的に神を理解するのではなく、たとえば広い聖堂という俗から切り離された空間の中で、沈黙の内に全身で至高なる神と対話するのです。理解しなくてもいいのです。いや、理解しようとするからいけないのです。
カトリックとは“普遍的”という意味ですが、カトリック教会が使っていた言語は、かつての世界国家ローマ帝国のラテン語です。ラテン語こそが普遍的な世界言語というわけです。
バッハのラテン語作品
私は、バッハのロ短調ミサ曲を始めとするラテン語作品に、カンタータなどとは違った匂いを感じます。それは、カトリシズムの匂いです。あるいは空間性を感じるとか、普遍的であろうとする方向性を感じるといったらいいでしょうか。
バッハは、ドイツ語に作曲する時は、民衆の目線で非常に言葉に密着した作り方をします。レシタティーヴォがその顕著な例で、受難曲などでは大活躍します。それは語られ、理解されるための楽曲形式です。
しかし彼がラテン語に作曲する場合、レシタティーヴォを作らなかったのは偶然ではありません。またKyrie eleisonという歌詞だけで数分に及ぶ楽曲を作った場合、その歌詞は、限りなく繰り返され、外国語であるラテン語ということも手伝って、お経のように“唱えられる言葉”となります。
理解される言葉というのは、理解された時点で役目を終えますが、唱えられる言葉は、もっと広がりを持ちます。ミサの言葉というものはそういう性質のものなのです。
二つの世界
さて、カンタータからミサ曲へと行ったバッハのパロディは、こうした二つの世界にまたがっています。ドイツ語の語感から密着して生まれたカンタータをミサ曲に書き換える時に、バッハは、言葉とモチーフとの関係よりも、むしろ絶対音楽としての価値を前面に押し出し、音楽としての普遍性と空間性を獲得したと言えましょう。
パロディが、ドイツ語からラテン語へと、ほぼ一方通行なのも、まず言葉から始まり、抽象性へと流れていく彼の作曲の方向性の表れでもあり、ローカリズムからグローバリズムへと広がっていく意識の反映とも言えるかも知れません。
バッハは1733年にロ短調ミサ曲の前半部分であるKyrieとGloriaをドレスデンの宮廷に捧げますが、その頃からカトリック教会とコンタクトを取っていきます。四つの小ミサ曲も、それ以後の作品だとされています。
しかしだからといって、彼がプロテスタンティズムからしだいに離れてカトリシズムに傾倒していったというわけではありません。彼には元来そんな宗派の垣根などなくて、必要に応じて二つの世界を自由に行き来していたのです。
私がミサ曲を指揮する時も、カンタータを振る時とは心構えが全然違います。カンタータを振る時は、まるでオペラを振るように、非常に現実的なところに身を置き、ひとつひとつの言葉から出る表情を丁寧に表現しようとします。でもミサ曲では、なるべく精神的に高いところに自分の意識を置き、音楽に身を委ね、より瞑想的になります。
それでは、本日のメイン・プログラムである「ト短調ミサ曲BWV 235」をじっくりお聞き下さい。
演奏 ト短調ミサ曲
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