東京バロック・スコラーズ
演奏会「若き日のバッハ」レクチャー原稿
三澤洋史
ルター的
本日の演奏会「若き日のバッハ」は、前回の「バッハとパロディ」と並んで、東京バロック・スコラーズ結成当初から是非やりたいと思っていたプログラムでした。本日演奏している三曲のカンタータは、どれもバッハが22、3歳の頃に書かれたものです。にもかかわらず、二百曲もある教会カンタータの中でも、最も人気のある傑作揃いです。
では、これらのカンタータの特徴とはなんでしょう。それは一言で言うと、とてもルター的だということです。宗教改革の旗手であるマルティン・ルターが行った二つの重要なこと。そのひとつは聖書のドイツ語訳でした。ルターはそれを、バッハの生まれ故郷アイゼナッハのすぐ近くのヴァルトブルク城で行っていました。もうひとつは、みんなが口ずさめる歌を礼拝の時に歌えるようにと、コラール、つまり賛美歌ですね、これを編纂したことです。このふたつの要素が、これらのカンタータの中には色濃く反映されているのです。
カンタータ第106番
最初にお送りしたカンタータ第106番「神の時は最上の時」では、聖書の言葉をバラバラにして自由に並べた歌詞に、コラールの歌詞がからみあって構成されています。それを彩る音楽は、テクストに従って実にドラマチックに作曲されています。
カンタータに聖書の言葉を使うのは、一見当たり前のように思えますが、バッハは、ヴァイマール時代に、ノイマイスター式と言われるカンタータ形式を採用してから、その生涯の終わりに至るまで、カンタータの中ではほとんど使っていません。ノイマイスター式カンタータでも、コラールは好んで用いられていますが、それ以外は聖書ではなくて、ノイマイスターなどを中心とした、いわゆる詩人の作った自由詩が用いられているのです。
オペラ的なノイマイスター式
バッハの初期のカンタータをルター的と言うなら、それ以後のものを私はオペラ的と呼びます。何故ならバッハがノイマイスター式カンタータで採用したのは、自由詩と共に、イタリアから伝わってきたオペラの作曲様式だったからです。
私は、個人的にはオペラというものがイタリアで生まれてから、ドラマと音楽との融合を目指す方向ではなく、歌手の技巧を披露するために、レシタティーヴォとアリアとに分ける方向に向かっていったことに、ある種の退行現象を感じます。つまり物語の進行をつかさどるのは、伴奏がシンプルで朗唱風のレシタティーヴォ、一方、音楽的で華麗なアリアではストーリーは完全に止まってしまうのです。
これがモーツァルトで改革され、ワーグナーでドラマと音楽とは究極的に融合を見るのですが、バッハの活躍していた時期には、このレシタティーヴォとアリアとにはっきり分かれたオペラの技法が一番のトレンドだったのです。だからバッハも取り入れました。
バッハは、生涯を通じてドイツ国外におそらく一歩も出たことありませんでしたが、当時のフランス様式やイタリア様式の流行にはとても敏感で、自分の作品にそうした新しい技法を好んで取り入れていました。
オペラの様式も、自分ではオペラそのものは書きませんでしたが、彼の書いたノイマイスター式カンタータは、様式的には当時のオペラそのものといってさしつかえないのです。
でもそのことによって、初期のカンタータで見せたような、歌詞と音楽とが相克し合うスリリングでダイナミックな要素というものが、ノイマイスター式カンタータからは聞かれなくなってしまうのが残念なのです。それほど初期のカンタータは、現代の私たちの目から眺めた場合、逆に新しさを持っているのです。
カンタータ第4番
二番目にお聞きいただいたカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれ」では、第106番とは全く違った構成となっています。たとえば料亭とかに行って「うなぎづくし」とか「いわしづくし」という料理がありますが、カンタータ全体が、ひとつのコラールという食材の、あえものだったり、刺身だったり、煮物だったり、揚げ物だったり、様々なヴァリエーションです。つまりこのカンタータ全体が、「キリストは死の縄目につながれ」というたったひとつのコラールから成り立っているわけです。歌詞も冒頭の楽器演奏のSinfoniaをのぞいては、コラールの一番から七番までを順に使っているわけです。下手な料理人がやると全部同じ味になってしまいますが、
「え?これもいわしなの?」
と思わせるほど、それぞれの曲が違ったキャラクターを持っているのに驚かされます。だから、みなさんが、このカンタータのそれぞれの曲が全てひとつの素材から成り立っていることに気がつかなかったなら、むしろ職人バッハにとっては名誉なことに違いありません。
カンタータ第131番
今日の演奏会で最後にお届けするカンタータ第131番「深い淵より」は、形式的には第106番に似ています。でも、ここでは聖書の言葉をあちらこちらから取らないで、「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」という有名な詩編第130番の歌詞が最初から最後まで使われています。これが106番同様、音楽的に自由に展開され、さらにコラールと絡み合いながら進んでいきます。このコラールとの絡み方は、この若さにして驚くべき作曲技法の高さを示しています。
これらの初期カンタータは、バッハの宗教的声楽曲のデビュー作とも言えるものですが、すでに同時代の全ての作曲家を凌駕しています。それほど、若き日のバッハの出現は衝撃的だったのです。
バッハは作曲技法的には、若くして完成の域にありましたが、それでも初期の作品は、中期や晩年の作品にはない、ある種のメランコリーと親しみ易さを持っているのも特徴です。第131番も、第1曲目はとてもメランコリックで、一度聴いたら忘れないメロディーを持っています。また、第4曲目などは、ちょっと歌謡曲のようですね。
カンタータ以外にも、トッカータとフーガや、小フーガト短調など、有名な曲がこの時期に書かれたのも、そうした親しみ易さと無関係ではないし、同時にその中に秘められた若い情熱こそが大きな魅力なのではないでしょうか。
さあ、それでは、この若き日の傑作をプログラムの最後にお届けしようと思います。青年バッハのほとばしるような情熱を存分に味わって下さい。
演奏 カンタータ131番
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