ヨハネ受難曲講座-表情豊かなレシタティーヴォ

ヨハネ講座 その検”従靄かなレシタティーヴォ

2009.02.28  三澤洋史

バロックと対立の原理

 バロック音楽の美学として「対立の原理」が挙げられる。これはあらゆる面に行き渡っている。

 バロック時代は「通奏低音の時代」とも言われる。通奏低音の原語はBasso Continuoだ。英語のContinueという単語で予測がつくように、イタリア語のcontinuoとは「絶え間ない」あるいは「連続した」という意味なので、日本語に訳した時に「通奏」と表された。 チェロやコントラバスなどの低声部が、楽曲全体に渡って途切れることなく、和声進行にのっとった旋律をきざみ、そのリズムが同時にその曲のビートを紡ぎ出していく。バロック音楽がジャズと似ていると言われるのも、この通奏低音の規則的なビート感の故である。
 ルネッサンス期の対位法的楽曲においては、旋法を中心として横の流れが重視されていたので、各声部は同等の価値を持っていた。しかし、しだいに近代和声法が確立されてくるにつれて、バス声部の上に長調、短調の和声を組み立てるようになる。それによって声部の重要性に変化が生じる。バロック時代では、一番偉いのがバス声部、その次がメロディーである上声部、それから内声、という風に序列が生まれたのだ。
 バロック時代には、フーガなどでも、バス声部が休みになると16フィートのコントラバスやチェンバロあるいはオルガンなどの鍵盤楽器も一緒に休みになるので、急に音が薄くなる。要するにバロックの対位法的楽曲のサウンドは、ルネッサンスと違ってアンバランスなのである。バス声部の結束力は堅くなり、バス対他声部という対立が、楽器構成においてすでに生まれているのだ。

 「対立の原理」はバロック音楽のシンボルだ。ソロ楽器とオーケストラが対立する協奏曲(Concerto)が生まれたり、二つ以上に分かれたオーケストラ同士を離れたところに置いて対峙させたり、対立の効果はあらゆる方向で追求された。
 チェンバロやオルガンなどでは、鍵盤を変えたりレジストレーションを変えたりして、フォルテとピアノ、あるいは音色同士が対立するものとして呈示される。ダイナミックスはロマン派の楽曲ようにゆるやかに移行するものではなく、瞬間的に変わり、その対立を楽しむものなのだ。同じフレーズをフォルテとピアノで交差させる「エコー効果」などはその典型的な例である。

 大規模な楽曲になると、「対立の原理」は曲構成に顕著に表れる。たとえばヨハネ受難曲では、福音史家のテノールはセッコ・レシタティーヴォと呼ばれる最小の楽器構成を従えて歌う。それからアコンパニャートaccompagnato(伴奏付きの意味。ヨハネ受難曲ではアリオーソArioso)と呼ばれる弦楽器や管楽器の伴奏を伴ったレシタティーヴォがあり、少人数のオブリガートを伴ったアリア、大編成のアリア、ほぼ全合奏によるコラールや群衆合唱、さらに第一曲目のような大規模な楽曲と、まさに様々な楽器編成や異なった楽曲形式の音楽が並んでいる。
 こうした互いに異なった編成の音楽が、ゆるやかに移行するのではなく、隣接して突然変わることでダイナミズムを生み出していくのがバロック音楽の手法だ。チェリストと、鍵盤楽器奏者、それに福音史家の三人だけの場面があると思うと、次の瞬間にはトゥッティで合唱曲が来る。ワーグナーの楽劇のように、だんだん奏者が増えていくとか、美しいアリアを歌っていたと思ったら、しだいに楽器が減っていって、いつの間にかレシタティーヴォになっていた、ということは決してない。
 異なった編成の曲をわざと隣接させ、断層を作り出し、対立を煽ることこそがバロックの美学なのだ。

福音史家のレシタティーヴォ

 さて、その最小の構成で演奏されるのが福音史家のセッコ・レシタティーヴォRecitativo Seccoだ。レシタティーヴォrecitativoという言葉は、イタリア語の動詞recitare(唱える、朗読する)から来た言葉で、リサイタルrecitalの語源ともなった言葉だ。リサイタルは、元来詩などの朗読会を意味していたが、転じて独演会を指すようになり、さらに音楽会以外の意味がしだいに消えて、独唱会、独奏会の意味となっていったのだ。
 一方、セッコseccoは「乾いた」という意味。よくオペラの立ち稽古などで、
「セッコでやってみよう。」
と言うと、伴奏をつけないで、メロディーを口ずさみながら動きに集中した練習をすることを指す。こうした事から考えるに、セッコ・レシタティーヴォとは派手な伴奏なしで、簡素に行うレシタティーヴォを意味するのだろう。
 だからレシタティーヴォは歌うというよりは朗誦に近い。メロディーはあるにはあるが、いわゆる普通の歌のようにメロディックではなく、全て言葉の抑揚に従っている。日常会話での抑揚の幅は、音楽の幅から比べると少ないので、レシタティーヴォでは言葉の抑揚がデフォルメされた音程幅となる。

 この音程幅がバッハの場合半端じゃない。譜例を見ていただきたい。(「譜例2a」参照。クリックすると全体表示。音源再生はこちらをクリックしてください。)

これはヨハネ受難曲の最初の福音史家の部分だ。Jesus ging mit seinen Jungernと、冒頭のJesusから高いG音で始まる。da war ein Garten「そこに庭があった」の箇所では下のF音からなんと1オクターヴ もの跳躍が見られる。
 バッハの書いたメロディーに従ってドイツ語をしゃべってみると、とても自然で、譜面を離れてもそのメロディーの抑揚が頭に残る。だが、最初にバッハのメロディーを知らないで、普通にテキストを話してみると、ドイツ人はこのようには決して話さない。すなわちバッハのレシタティーヴォの抑揚はかなり意図的に強調されていて、自然の抑揚とは違うのだ!

 darein ging Jesus「そこにイエスは入っていった」のJesusも高いG音にまで上がる必要はない。通常だとdaに対してreinが少し上がり(da「そこ」を強調する場合は、daの方にアクセントが来て高いこともあり得る)、gingで下がり、Jeでreinと同じくらい上がるだけで、susはgingと同じ高さになる。
 でもバッハは、冒頭のJesusについたG音もそうだったが、イエスという言葉を高いG音で歌わせたかったのだ。つまりこの一連のフレーズ自体はイエスという言葉のG音を中心に作られている。

 それからユダに関する箇所が来る。ハ短調で穏やかに始まった音楽は、突然不安な減三和音と共にヘ短調に転調する。ここでのメロディーはジグザグで激しい。Judasという言葉はDes音から始まりレシソと一気に下がるが、またverriet(裏切った)という言葉で調6度上のE音に跳躍する。それによって「ユダ」という言葉と「裏切った」という言葉が強調される。
 次のwusste den Ort auch「その場所を知っていた」の音型は、普通に話されたドイツ語と随分違う。恐らく日常会話ではwusste den Ortは同じ高さで話されるだろう。そしてauchで少し下がる。ここでバッハはあえてwussteのwussを高いG音で書いている。Jesusと同じ高さである。
 ドイツ人でも「知っていた」ということを強調するならば、wussteのwussをやや高く発音することはあり得る。でもこんなに高くは言わない。バッハは、恐らくユダが「イエスのいた場所を『知って』いた」ということに意味を持たせたかったのだろう。内部事情に詳しい有利な立場を利用して裏切りを実行したユダの卑怯さを強調したのだろうか。このように、バッハの抑揚は常道を逸して誇張されているのだ。

音符の調節

 バッハのレシタティーヴォは、全て杓子定規な4分の4拍子で書かれている。これはその時代の慣習に従ったのだと思われる。そして単語のアクセントはほぼ全て拍の頭に来て、文章の中で強調したい単語は大抵1拍目か3拍目に来る。だから、そうでない単語は、そのために“音符を調節”させられる。
 どう調節させられるかというと、たとえば先ほどのwusste den Ort auchを見てみると16分音符で書かれている。これを、その前後の8分音符の倍のテンポで歌って歌えないことはないが、とても窮屈だ。
 これはどうしてこういう書き方をしているかというと、verriet「裏切った」という単語のアクセントrietを小節の1拍目に持ってきたかったのと、JesusのJeを次の小節の1拍目に持ってきたかったことで、残りの音符を調節させられたのである。
 現代だったら8分音符で書いて、その小節だけ4分の5拍子にすればいいのだが、この当時は慣習的にそうもいかない。そこで半分の16分音符で書いたというわけだ。案外安易に処理しているのである。だからwusst den Ort auchは、書いてあるように16分音符の早さで歌う必要はないのである。

 バッハのレシタティーヴォは、特別な場合を除いて3連符や5連符なども存在しないので、8分音符の下はその半分の16分音符となってしまう。だから譜面づらを忠実になぞって歌ったら、朗誦という目的からすれば四角四面になってしまう。
 言葉というのはもっと自由なものだ。自然な朗誦の表現をめざすならばイン・テンポというのはあり得ない。故にバッハのレシタティーヴォをイン・テンポでやるほど愚かなことはないということなのだ。
 mit Fakkeln,Lampen,und mit Waffen「松明や明かりや武器を持って」というくだりに関しても同じ事が言える。

これを音符に沿って歌ってみると、どうしてもたたみかけるように歌いたくなり、とてもイン・テンポでは間が持たない。そう思った時は、速いテンポで歌えばいいし、休符の長さも必ずしも守る必要はないのである。

 福音史家は、単語の持つ語感や、文章が意味する雰囲気を感じ、時にたたみかけるように、時にたっぷり時間を取って、テンポから解放され流動的に歌わなければならない。アリアや他の楽曲のように、譜面を正しく読み、イン・テンポで歌ってさえいれば、曲として体裁が整うわけではないので、別の意味で大変だ。
 でも、もし福音史家がドイツ語の生き生きした表現や言葉のリズムに精通していて、それを生かすように歌ったならば、バッハの誇張された抑揚は、実に驚くべき力を発揮して、ドラマの昂揚に大いに貢献するのである。

バロック時代の記譜と実際の演奏

 さて、譜例にはところどころ+印がついている。これはアポジャトゥーラappoggiatura(前打音あるいは倚音と訳される)と言って、フレーズの終わりを書いてある音ではなく一音上げて演奏する印である。この+印はバッハが書いたのではなく僕がつけた。

 アポジャトゥーラは、楽曲の中ではよく長前打音のように書かれるが、レシタティーヴォでは特に書かれず、演奏者によって判断される。当時は、あまりに当たり前の事だったので、あえて譜面として書かれなかったのだ。

 たとえばメロディーがソファミあるいはファミと順次進行で下降し、フレーズの終わりでドドと書かれた場合、100パーセントそれはレドと歌われる。譜例のund seine Jungerや、daselbst mit seinen JungernあるいはPharisaer Dienerやbegegnen sollteがそれにあたる。 だが、uber den Bach Kidronなどは順次進行ではないし和声構成音なので、必ずしもシラと歌われなければならないわけではない。ララでもいいのだ。また、可能性としてはwusst den Ort auchの最後のAs音も勝手にアポジャトゥーラをつけてシラと歌ってしまってもいい。ただこの場合、アポジャトゥーラをつけると柔らかい感じになってしまうので、僕の趣味としてはつけない方が良いように思われる。

 このように、演奏者の趣味やその場の即興性に任せてつけたりつけなかったりが許されるアポジャトゥーラも少なくないのだ。
 こういうと、
「そんなんでいいのですか?」
という声が聞こえてきそうな気がする。なんとなくいい加減に見えるだろう。でもバロック音楽の演奏に即興性はつきものである。

バロックと即興演奏

 たとえば、福音史家の声部の下を支えるバッソ・コンティヌオ(通奏低音)は全音符などの長い音符で切れ目なく書かれているが、せっかく福音史家がテンポも語り口も変えてドラマチックにやっているのに、このまま弾いたら変化もなく、とてものろまっぽくなってしまう。これも当時は雰囲気に合わせて適当に4分音符のように切ったり、あるいは意図的に延ばしたりしていたのだ。
 マタイ受難曲では、短くされた音符が記載されている。でもヨハネ受難曲では、譜面上では長いままなので、演奏者自らが演奏に際して配慮しなければいけない。

 さらに、譜例では分かり易いようにコード・ネームで書いたが、コンティヌオの譜面には、このコード・ネームに相当する数字が書いてある。この数字を頼りに、鍵盤奏者の右手では和声にのっとった完全な即興演奏が行われていた。現代のポップスやジャズのキーボード奏者と一緒だ。まあ、現代では書かれた譜面を演奏することがほとんどだけれど・・・・。
 ちなみに僕は自分でチェンバロを弾く時は、完全に即興演奏する。音楽は「今、現在、この場で」アクチュアルに生きているもの。その喜びをバロックの人達は知っていたのだ。それを僕も体現する。それがバロック的というものだ。だからゲネプロと本番とでは全く違う演奏になり、同じ演奏は二度と出来ないのだ。

 こんな風に、いろいろ自由があるのがバロック音楽なのだ。ちなみに、福音史家のレシタティーヴォを3月8日の演奏会では実際にどう演奏するかという一例を書き出してみた。なにかの参考になればいいと思う。(「譜例2a 実際の演奏」参照。クリックすると全体表示。音源再生はこちらをクリックしてください。)

でも、言っときますが、この通り演奏するかどうかは分かりませんよ。なにせ即興精神がバロックのモットーなのだからね(笑)。

様々な表情

 福音史家のレシタティーヴォは、基本的には客観的に物語を淡々と運んでいくが、バッハはその時その時で実に様々な表情を織り込んでいる。

 12c「ペテロはイエスの言葉を想い出し、外に出て、激しく泣いた(マタイによる福音書26章75節からの借用)」という場面では、福音史家のメロディーは突然メロディックになり、複雑な和音と相まって、ペテロの号泣への限りないシンパシー(共感)を表現する。(「譜例12c」参照。※クリックすると拡大表示します。)

 通常福音史家につけられた音符は、1シラブルに対して1音だが、ここではweinete「泣いた」やbitterlich「激しく」の言葉は、いくつもの音をまたがって歌われる。

 18c「ピラトはイエスを鞭で打たせた」というくだりでは、激しく激情的な音符で福音史家に歌わせる。鞭という言葉に対応した、とても印象的なシーンである。(「譜例18c」参照。クリックすると拡大表示します。)

 25a「そこで、彼らはイエスを十字架につけた」という場面のフレーズは、ジグザグにメロディーが配置されており、視覚的にも聴覚的にも十字架を象徴する。(「譜例25a」参照。クリックすると拡大表示します。)

 29「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」というくだりでは、「時」Stundという言葉に高いA音が与えられている。そしてミララドとオクターヴを含む激しい跳躍がみられる。(「譜例29」参照。クリックすると拡大表示します。)

 日常会話でこんな風に抑揚をつけるドイツ人は誰もいない。この十字架上での特別な「時」において、まだ自分ではなく人の心配をしているイエスを強調したかったのだろうか。直前のコラールにおいてin der letzten Stunde「最後の時において」とあるのが僕にはヒントのように思われる。

 31イエスの死の瞬間の描写である「そして頭を垂れて息を引き取られた」では、Und neiget dasのメロディーの下降形が、頭を下に垂れる様を表現しているが、頭は高いところにあるので、そこだけポンと6度高く跳躍する。それから低い音域で「亡くなった」と歌う。(「譜例31」参照。クリックすると拡大表示します。)

福音史家〜超絶技巧の語りべ

 こうした福音史家の自在性はマタイ受難曲においても受け継がれていくが、バッハの福音史家のレシタティーヴォは、音楽において「語る」ということのひとつの極限まで追求された感がある。福音史家は「語りべ」としての表現力を要求され、彼が受難曲全体のドラマ的緊張感の鍵を握っている。

 それにしても、高音から低音まで急激に飛び回るこの福音史家の音符を歌うだけでも大変なのに、様々な感情の交錯する受難劇のドラマチックな表現力を要求されるわけだから、これに答えられるテノールの人材はとても限られる。
 イタリア・オペラのアリアは上手に歌えるのに、福音史家は歯が立たないという人を、僕は知り過ぎるほど知っているのだ。
 福音史家に要求されるのは、超絶技巧とも言える高度な声楽テクニックもさることながら、何といってもドイツ語に対する深い知識と、語感に対する鋭敏なセンス、そして受難物語に対する共感、宗教的感性など、バッハの福音史家に要求するレベルには果てがない。

 バッハが、フーガのような絶対音楽や大規模な楽曲において、華々しく作曲家としての力量を発揮していることは沢山の人が評価している。だが、レシタティーヴォのような音楽的に地味に見える楽曲でこれほどの才能を見せていることに、あまり言及する人がいないのはとても残念だ。これこそがバッハの独創性の極地なのに!

 歴史上では、彼の福音史家レシタティーヴォの境地に肩を並べる天才がたったひとりだけいる。それはオペラ・ブッフォにおけるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだ。これについては、またいつか別の機会に述べようと思う。


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