ヨハネ受難曲講座杭能回

ヨハネ講座 その 最終回

2009.03.5  三澤洋史

 バロック時代の美学に対立の原理があることは先週述べた。そのひとつの現れとして拍の中での対立というものがある

リズムと拍の観念

 教会音楽の基となったグレゴリア聖歌では、元来拍子という概念は存在せず、言葉の意味のままに空中にたゆたうように歌われていて、その浮遊感が永遠なる“神の世界”に通じていると考えられていた。昔のネウマ譜と呼ばれる譜面を見たことがある人はいるだろうが、そこには長短の区別はあっても、はっきりとした拍や拍子は刻まれていない。
 その美学はルネッサンス期のパレストリーナ対位法にも受け継がれていった。対位法であるから縦の線を揃えるために拍の概念は生まれていたが、それはあくまで揃えるための目安であって、拍をアクセントなどで強調するということは考えられていなかった。

 一方、世俗音楽はリズムによって支配されていた。それは、神の世界とは対照的に、心臓の鼓動や呼吸から始まって昼と夜との繰り返しや春夏秋冬など、全てのものにリズムや周期がある“現世のあり方”を象徴しているのだ。
 神は“時”を創造することで、自らとその被造物とを分けられた。我々は過去から未来に向かって一方方向に流れる時の中に生きるが、同時に、一定の周期で戻ってくるリズミックな運動をするものに囲まれている。太陽や地球あるいは月の規則的な運動は、我々に暦を与えてくれた。我々は、“時を刻む”という行為によって自己の座標軸を規定する。過ぎゆく時間は戻らないが、春は一年ごとに何度でも巡ってくるのだ。

 音楽におけるリズムは、心臓の鼓動と連動している。人は、自分の鼓動より速い拍で演奏される音楽を「速い音楽」と感じるし、鼓動より遅いと「ゆっくりな音楽」と感じるのだ。それどころか4分音符イコール160以上になると、我々は2分音符イコール80と感じ始めるし、反対に4分音符イコール40以下は、8分音符イコール80と感じ始める。仮に4分音符イコール1時間という音楽があっても、我々の感覚は、それを音楽としては認識できない。

 バロック時代に入って音楽に革命がおこった。世俗音楽の要素が宗教音楽の分野に土足で入り込んできたのだ。すなわち、これによって宗教音楽は「肉体を得た」のである。そうすると、拍の観念が音楽において強固になり、さらにいくつかの拍が集まって一つの拍子を作るという考え方が、宗教曲の分野でもなされるようになる。
 拍子のはじめには分かり易いように強いアクセントが与えられ、音楽のフレージングもそれを根拠に形成されるようになる。2小節でひとつのフレーズを作るメロディーや、4小節で完成するメロディーがあると思うと、さらにそれを繰り返して、大きな8小節のフレーズを形作るようになる。こうした規則性は、グレゴリア聖歌やパレストリーナの世界には決して見られなかったものだ。

 パレストリーナとバッハの音楽の最も大きな違いは、拍感とリズムだ。レガート指向のパレストリーナに比べて、バッハの音楽はスタッカート指向で、思わず踊りたくなるような生き生きとしたリズムに支えられている。
 バロック時代は、音楽史の中で最も拍あるいは拍子の支配が強固な時代となる。我々が昔、音楽の時間に習ったような、4拍子は強・弱・中強・弱というアクセントを持っているという考え方は、バロック時代に培われ定着した。
 同じ小節内で力関係すなわち“対立の原理”が生まれたわけである。さらにひとつの拍の中で表拍と裏拍に優劣が生まれる。表拍は強く輝かしく、裏拍はみすぼらしく影のように捉えられていた。

裏拍の記譜

 だからそれを記譜することにおいても、表拍は正確に書かれるが、裏拍に関してはいいかげんに扱われた。ヘンデル作曲オラトリオ「メサイア」の冒頭Overtureは(譜例:「ヘンデルの記譜」参照。クリックすると全体表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)

このように書かれているが、このフランス序曲風の楽曲は実際には次のように演奏されていたと考えられている(譜例:「演奏の実際」参照。クリックすると全体表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)。

要するに譜面通りに演奏しないのが当たり前だったわけである。
 また、バッハのロ短調ミサ曲のサンクトゥスSanctusも、3連符と同時に付点8分音符と16分音符とが同居しているが(譜例:「Sanctus バッハの記譜」参照。クリックすると拡大表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)、

これも次のように演奏される(譜例:「Sanctus 演奏の実際」参照。クリックすると拡大表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)。

この時代には4分音符と8分音符の組み合わせで3連符を記譜する習慣がなかったようだ。

 このように、バロック音楽は、譜面通りに演奏すればいいというものでないところが難しい。特に徹底した原典主義のベーレンライター版は、新バッハ全集ソースに基づき、バッハが書いた通りに記譜してあるため、そのままでは演奏出来ない。バッハ演奏家は、まず譜面を演奏する前に、これをどう演奏するべきか判断しなければならない。

13番アリアの記譜と、演奏の実際

 さて、ヨハネ受難曲の中で、書いたとおりに演奏しない例として13番のテノール・アリアを挙げてみよう。(譜例:「13.Aria」参照。クリックすると全体表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)

 これは、ペテロがキリストのことを3度知らないと言った時に、キリストの予言通りに鶏が鳴き、それを想い出したペテロが悔恨の涙にくれる場面の直後に来るアリアだ。テノール独唱は、ペテロの自らへの怒りややるせない感情を、この激しい音楽に乗って歌う。
 バッハはこの曲で特徴ある付点音符をコンセプトとして掲げた。バロック期においては付点音符は受難を象徴する。ペテロもキリストとは違う意味で苦難を受けたということか。だが冒頭の第2ヴァイオリンとヴィオラのリズムは、2拍目の裏が8分音符で書かれていて、これを書いてある通りに演奏すると、リズムが中途半端になってしまい、激しい曲想が表現できない。

 聡明な読者諸君は、すでに先ほどのメサイアなどの例で見当が付くと思うが、これらのリズムは、当然のように変えられて16分音符がこの曲を支配するのである。さらにその第2拍目の裏の16分音符の表現を徹底させるため、最初の付点4分音符は、2拍目に引っかけたところで弾みをつけて切るのだ。すなわち4分音符とタイでつながった16分音符という長さとなる。(譜例:「13.Aria 演奏の実際」参照。クリックすると全体表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)

 それは別の書き方がされている第9小節目においても同じで、ここでは付点のない4分音符で書かれているけれど、次の拍の頭に引っかけて切る。これでやっとバッハの意図したリズムが実現されるというわけだ。ふうっ!バッハを演奏するって楽じゃないのだ。

 第1小節目とか9小節目、11小節目の4分音符で書かれた長前打音の長さも悩むところだ。バッハは通常の場合、書いてある音価(音の長さ)で前打音が演奏されることも多いけれど、同じくらいその状況を見て判断しなければならないケースも多い。
 この場合、僕は曲想から見てあまり長くない方が緊張感があっていいと思う。なのでとりあえず8分音符にしようと決心した。もっと極端に短く演奏するのもいいかも知れない。

この手法が思わぬ分野で・・・・

 さて、バッハのテノール・アリアはどれも難しい。ヨハネ受難曲の二つのアリアも、二つとも難曲だ。どこが難しいかというと、まず音域が高い。それから、歌の部分の音型が難しい。そして覚えにくい。
譜例を見てみよう。このアリアの終わりの部分だ。(譜例:「13Aria 後半」参照。クリックすると拡大表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)

「あれっ?」
と思うだろう。
 オーケストラの部分は、多少内声の進行や和声が違うけれど、第1ヴァイオリンのメロディーが前奏とほぼ同じ。それにコーダがついてピカルディの3度で終わる(ピカルディの3度とは最後が同主調で終わる終止形)。
 この音楽の上に乗ってメロディーを歌うテノール・パートだが、これがヘンデルなんかだったら、テノール歌手は第1ヴァイオリンと一緒にメロディーを歌うに決まっている。そうすればもっと歌いやすく覚えやすい。なのにこのメロディーはなんだ!完全にオーケストラのメロディーから独立して、フレージングもオーケストラと合っていない。それどころか跳躍はあるわ、どこまでも続くフレーズにブレスは出来ないわで、これを歌うのは至難の業だ。

 だがこの作曲法が、実は音楽史に大きな影響力を与えるのだ。オーケストラが主旋律を奏で、基本的な音楽の骨格を形成する。その事によって歌手の声部が全ての制約から自由になるのだ。歌手のメロディーは独立して好きなところから初めて好きなところで終わる。時にオーケストラの主旋律に寄り添ってもいいし離れてもいい。歌手のメロディーとして別に完成されなくても、一貫して流れるオーケストラがその音楽を締めくくってくれる。
 こうしたバッハの作曲法に注目し、この方法論を独創的に展開させて劇場音楽に生かした大天才がいるのだ。それがモーツァルトである。彼はこの方法でオペラにおける劇的表現に全く新しい道を切り開いたのだ。次の譜面をみていただきたい。(譜例:「Le nozze di Figaro」参照。クリックすると拡大表示します。音源再生はこちらをクリックしてください。)

 これは歌劇「フィガロの結婚」の第2幕フィナーレの一節。背後で流れる音楽は一貫しているが、その上に繰り広げられる自然なドラマを見よ! 音楽の制約から離れ、日常会話の“間”で、日常会話の“息吹”で人々が対話をしている。しかも音楽としても成立している。これがモーツァルトのオペラの革新性なのだ。
 ワーグナーはさらにそれを発展させて、オーケストラにライト・モチーフ(指導動機)というものを与え、管弦楽の表現力を高めると共に、歌における朗誦性をさらに追求して、ドラマと音楽との融合を図った。
 でも、もしモーツァルトがいなかったら、ワーグナーも出なかったのである。そのモーツァルトも、バッハがいなかったら、あんな生き生きとしたオペラ・ブファは書けなかったに違いない。

このようにバッハの影響力というのは、間接的にあらゆるところに及んでいるのだ。まさに音楽の父!

ヨハネによる福音書と受難曲

 ヨハネによる福音書は、新約聖書におさめられている他の3つの福音書とはかなり違う。この福音書は4つの福音書の中で最も遅く書かれたということになっていて、他の福音書とは違うソースに基づいて書かれている。
 伝統的な見解によれば、この福音書の中でしばしば登場する「イエスが愛しておられた弟子」がゼベダイの子使徒ヨハネであり、この福音書の作者であると信じられているが、聖書学者達はそうは思っていない。最近の研究では「ヨハネ教団」とも呼ばれる複数の人達によって意図的に書かれたのではないかと言われている。

はじめにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。
ヨハネによる福音書第1章第1節

 この深遠な書き出しは、ギリシャ哲学の影響を受けていると言われている。この福音書が書かれた頃は、キリストの教えはどんどん外国にも広まっていって、ギリシャ哲学などとも対峙しなければならない必要性が増していた。現に聖パウロは、アテネに伝道旅行に行き、そこのギリシャ哲学者達と論争し、新しい信者を獲得している。

 ヨハネによる福音書で表現されたイエスの像は、他の3つの福音書のどれとも違う。この福音書には、イエスの弱さというものは全く表現されていない。ここには、ゲッセマネの園での、
「主よ、可能ならばこの杯を私から遠ざけて下さい。」
という血の汗がでるような苦しい祈りもないし、
十字架上での、
「主よ、主よ、何故私を見捨てるのですか?」
という絶望の嘆きもない。
あるのは、
「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
と自分の正しさを主張するどこまでも強いイエスであり、十字架上で、
「成し遂げられた」
と言って息を引き取る、最後までポジティブなイエスの姿なのだ。

 ヨハネ受難曲が、同じバッハによって作られたマタイ受難曲とこれほどまでに性格を異にしているのも、このヨハネによる福音書の性格からきている。マタイ受難曲では、イエスの人間的な部分が際だっている。第一部のかなりの部分は、ゲッセマネの園での祈りの部分に捧げられている。こうした弱さにシンパシーを感じる表現は、イエスに対してだけではなく、人間存在の弱さにも向けられる。その結果、マタイ受難曲のドラマは、より人間的なのだ。
 ヨハネ受難曲は違う。イエスはあくまで自らの使命を貫く。その死に至るまで、決して迷うことなく淡々と確実に救済の事業を遂行していく。そのことによって、ドラマの対立の構図は鮮明となる。真実なるイエス対、彼を葬り去ろうとする者達というコントラストは激しい。だからバッハも群衆合唱をあそこまで激しく書くことが出来たのだ。

丁寧に描かれたピラトの場面

 一方、ヨハネ受難曲では、イエスとローマ司令官ピラトとの対話が第2部の中で不思議な静けさを醸し出している。このピラトとの問答は、イエスの本質を的確に表現している。

「わたしの国は、この世には属していない。」
「わたしは真理について証をするために生まれ、そのためにこの世に来た。」
 ピラトはイエスからこうした含蓄の深い言葉を引き出す役割を担っている。ピラトは、イエスには好奇と畏敬の思いを持って接するが、官邸の外のユダヤ人達に向かっては、自分の威厳を保とうと必死になる。このピラトの二重人格性に群衆の憎悪と興奮が加わると、受難のドラマは、静と動が絶妙なタイミングで交差し、十字架に向かって異常な緊張感を高めていくのだ。これこそ、ヨハネ受難曲の大きな魅力である。

 その反面で、ヨハネ受難曲では、マタイ受難曲と比べて十字架に架かってから終曲までが静かである。これもヨハネによる福音書の性格による。マタイによる福音書では、イエスが十字架に架かってからも群衆が、
「神の子なら、自分を救ってみろ!」
などとイエスに侮辱の言葉を投げかける。だがヨハネによる福音書では、きわめて淡々としている。あるのは、イエスが母マリアに自分の亡き後、この福音書を書いた弟子に面倒を見てもらうことを頼んだ記述くらいだ。
 だからヨハネ受難曲は、激しい場面はピラト官邸でのやりとりに限定され、その後はイエスの死の場面から終曲に向かって静けさが全体を支配する。この構成は、マタイ受難曲よりもずっとすっきりしている。ただバッハは、あまりにも静かなので少しドラマの山を作りたかったのだろう。ヨハネの福音書にはない地震などの現象を、わざわざマタイによる福音書から引用してヨハネ受難曲に加え、盛り上がりをつけている。こういうところは何か微笑ましい。

最終コラールはあるべきか?

 ヨハネ受難曲もマタイ受難曲の終曲のような子守歌というか弔いの歌があるが、ヨハネ受難曲では、その後に輝かしいコラールがおかれている。これがいいという人と、これはなくてもいいのではという人の両方がいる。現にマタイ受難曲では、コラールなしで成立しているのだから、コラールがないと受難曲として成り立たないということではない。当のバッハ自身も、思うところあって一度はこの最終コラールを抜いて上演してみた。たが、最終稿でやはり彼はこれを終曲として加えたのだ。

 ヨハネ受難曲において描かれたイエス像と、マタイ受難曲のそれでは、どちらが正しいイエス像なのかということは、演奏に際しては言っても仕方のないことであろう。これは要するにヨハネによって演出された受難劇とマタイによって演出された受難劇との違いなのだ。そしてヨハネによって演出された、どこまでも自らの生き方を貫いたイエス像の場合には、最後に、光りそのもののようなあの輝かしいコラールの存在が不可欠なのである。バッハが自分の意志で再びこれを終曲として加えたという事実が、それを物語っている。

精神的世界遺産

 ヨハネ受難曲とマタイ受難曲では、マタイ受難曲の方が規模は大きいが、どちらが優れているがという議論は無意味だ。それよりも、これだけ性格の異なる二つの受難曲を持っているという事実を、我々人類は受けとめ、その喜びを噛みしめるべきであろう。
 キリストの十字架は、人類の愚行が生み出したところの、広島の原爆ドームやホロコーストの収容所と同じく『負の世界遺産』かも知れないが、その人類の愚行を扱ったバッハの二つの受難曲こそは“負”ではなくまぎれもない精神的世界遺産なのだ。


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