フランスのカトリシズム

フランスのカトリシズム

三澤洋史

独自の発展をとげるフランスの教会

 ドイツの聖堂の中で荘厳に鳴り渡る金属管の響きと全く異なって、柔らかくおだやかな木管系のパイプオルガンの響きを聞いていると、フランスの教会が他のどこの国とも違う独自の発展を遂げてきたことがひしひしと感じられる。それは、あたかもフランス語の陰影に富んだ響きと、フォーレやドビュッシーの音楽が強い関連性を持っているのと似ている。

マグダラのマリアとフランス

 マグダラのマリアが、イエスの死後ローマに渡り、さらに当時のガリア(現在のフランス)に逃れたことに関しては、これを証明するいかなる資料も存在しない。さらに、小説ダ・ヴィンチ・コードで言われるように、フランスに逃れたマグダラのマリアはイエスの子供を宿しており、あるいはすでにもうけており、その“主の血(血筋)を受ける器”としてのマグダラのマリアとその後裔達の存在が聖杯伝説に形を変え今日まで残っているという説に至っては、資料的には完全にお手上げ状態で、噂や伝説に過ぎないと言われても仕方ないであろう。
 しかしながら個人的な話をすると、僕はこの説をかなり信じる。その根拠としては、聖杯伝説の謎がこれで解けるからである。

 聖杯伝説は、言葉通り信じるにはあまりにナンセンスだ。まず聖槍であるが、聖槍とはキリストが使った槍ではない。キリストがそれで脇腹を突かれた槍だ。殺人者の武器がどんな聖人を突いたからといって聖なる武器と化すわけがないのと一緒で、そんな槍が霊験あらたかなはずがない。
 聖杯に至ってはもっと眉唾だ。槍で突かれたキリストの脇腹から流れ出た血を受けた杯と言われるが、誰がいつそんな立派な杯で受けたのか。その杯は、前の晩にイエスが最後の晩餐でワインを飲んだ杯とも言われるが、ますます怪しい。その杯に霊性が宿るというのなら、キリストが水を飲んだコップを崇拝するフェティシズムとどこが違うのだろう。

 一方、ワーグナーの研究者達は、昔から聖杯伝説に隠された性的な象徴を見ていた。「パルジファル」の聖槍は男根の比喩。聖杯は、それを受けるもの、すなわち女性性器の象徴というわけである。聖杯伝説に信憑性を与え得るのは、むしろこちらの方の見解だ。つまり聖杯伝説とは、はっきり言えないあることを隠すために比喩として存在し続けていたということである。
一度そう考えると、すべてにつじつまが合ってくる。聖杯伝説は、実に完璧な比喩伝説なのである。

 ただその先は僕には興味はない。すなわちキリストの末裔が今日まで生きていたとしても、自分はそこに宗教的な意味を何も感じないということだ。僕が興味あるのは、あくまで“キリストを受けた杯”すなわちマグダラのマリアがフランスの地に流れて来て、フランスという国に特別なマグダラのマリア崇拝をもたらしたということである。
 ダン・ブラウンが何故ダ・ヴィンチ・コードをルーヴル美術館から始めたかおわかりだろうか?僕も今回ルーヴルをゆっくり回って初めて解ったが、ここに所蔵されている美術作品にはおびただしいマグダラのマリアが描かれていて、それを見て歩くだけでもマグダラのマリアに対する見解が変わるのである。なんとこの女性は、古来から沢山の芸術家達を惹き付けてきたことか。そしてなんと今日、忘れ去られてしまったことか!
 いや、言葉を足さなくてはならない。なんと今日−フランス以外では−忘れ去られてしまったことか!

サン・シュルピス教会

 サン・シュルピス教会に行って驚いたことがある。入り口に入ってすぐ右側。すなわちヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂と同じ位置にピエタの像がある。遠くから見た感じは一見ミケランジェロのピエタと変わらない。しかし近くに寄ってみると、もうひとりの女性が左側からイエスに寄り添っている。そしてその女性の方がより深い嘆きの表情をしている。

 つまりマグダラのマリアである。サン・ピエトロ大聖堂のピエタを見ている限り、“息子の死を嘆く母親”という誰が見ても共感を呼ぶ設定の中で作品は完成されており、もはやこの“親子水入らず”に他のいかなる要素も入り込む余地はない。だからサン・シュルピスの像を見たときの違和感はちょっと言葉につくせない。

 マグダラのマリアは、イエスにより七つの罪を許された女と聖書には書かれている。つまり罪の女だったわけだ。この点が聖母マリアのような最初から手の届かない清らかな存在と違い、葛藤、悔恨、意志による再生の象徴として信者達の希望の星ともなっている一方で、崇拝の対象ということになると聖母マリアのように無条件でというわけにいかない微妙な立場にいる。
 彼女は、イエスに罪を許された後、誰よりも熱烈にイエスを慕っていて、イエスの重要な場面には必ずその場に居合わせる。イエスの処刑、死、復活である。特に復活の朝、彼女はどの弟子よりも先にイエスに会っているのである。

 それでもそれらのことは聖書に記されてある事であり、創作ではない。ところが、サン・シュルピス教会のピエタは、それを遠く飛び越えて、イエスの亡骸の側で聖母マリアとマグダラのマリアの二人だけがいるという全くの創作場面を描き出している。これらの構図は、ルーヴル美術館に展示されている絵画の中にも何点か見られる。しかし教会で見ると意味が全然違ってくる。

 ひとりの男の死をめぐって二人の女が両側から嘆いている。勿論通常の三角関係とは違う。けれど母親の他にこれだけ本人の近くでその死を悼む権利のある女性とは一体誰なのだ?
 俗っぽい憶測でものを言うと、普通それは母親も公認したところでの妻ないしは婚約者といった、いわゆる“特別な女性”以外にはあり得ないのではないか。

 慎重な教会だったら、わざわざこんな誤解を呼ぶような意図的な像を置くことを決して許したりはしないであろう。ついうっかり置いてあって気がつかなかったという言い訳も成り立たない。つまりこの像の意味するところのものを、この教会は分かって許しているとしか思えないのである。

あれがどうしてここに?

 この教会にはもうひとつ不思議なものが置いていった。トリノの聖骸布の実物大のコピーである。

 オリンピックですっかり有名になったイタリアのトリノの町で、ある時キリストの亡骸を包んだと言われる布が発見された。しかしその審議をめぐっては、長い間論争がなされてきた。その布にはキリストの亡骸からしみ出してきた体液が作り出した模様がある。その模様がキリストの姿を綺麗に映し出しているというのである。
 それはちょうど写真で言うネガのように映し出されている。それをある時写真家の人が撮影し、現像している最中、
「あっ!」
と叫んだという。つまりそれをネガにした時、逆にリアルなポジの状態が映し出されたということである。
 そのキリストは、我々が聖画などで見る、いわゆるありがちなキリスト像にそっくりなのだ。僕は個人的には眉唾物だと思っている。よく出来過ぎているのである。

 そのトリノの聖骸布の実物大のコピーがなぜここに?一体なんなんだ、このサン・シュルピス教会って?キリスト教にまつわるあらゆる怪しい情報のセンターということなのか?

マドレーヌ寺院

 マグダラのマリアはドイツではマグダレーナと呼ばれている。イタリア語ではマッダレーナ、そしてフランスではマドレーヌである。お菓子のことではない。いや、お菓子のマドレーヌはここに由来するのだろう。そのマドレーヌの名前をそのまま持つマドレーヌ寺院に行ってみた。

 この教会ほど外観からして異教的なたたずまいを持つ教会を僕は知らない。そして内部の装飾もどこかオリエンタルである。その中で、通常のカトリック信者の信仰心からして最も違和感があるのは、正面中央に両側から天使に囲まれて置いてあるマグダラのマリアの大きな像である。
 何故ならカトリック教会の場合、聖堂の中央にあるべきなのは十字架に他ならない。それも教義上厳密に言うと、本当は十字架に掛かったキリスト像でなければならない。マグダラのマリア像は、仮にあったとしても脇に置かれるべきだ。十字架は確かに申し訳程度にあったが、像に比べてあまりに小さく、注意しなければ見落としてしまう。
 これでは仏教風に言えば、あたかもご本尊がマグダラのマリアのようである。キリスト教ではなく、まるでマグダラのマリア教ではないか。

 反対から言えば、そんな異端ぎりぎりのことを許すほど、フランスのマグダラのマリアに対する気持ちには特別なものがあると言える。ところが僕は、それを見ることによって、これまでかなり寛容な信仰心を自負しているつもりであったのに、かえってマグダラのマリアに対する拒否反応が心に生まれてしまった。

 彼女がイエスに限りなく近い女性であったことには疑問の余地はない。しかしイエスに近ければ近いほど霊的に高いかというと、それはまた別の話である。彼女の場合、とにかくイエスに近すぎるのである。
 イエスが十字架に架かる前に、イエスの足に香油を注ぎ、自らの髪でぬぐったという女性がマグダラのマリアであったと一般的には言われている。確証はない。しかし、その時の弟子達の冷たい態度や、その直後のイエスの言葉を聞く限り、この女性はマグダラのマリア以外あり得ないだろう。

「これから後、福音が語られるところでは、同時にこの女のしたことも語られるであろう。」イエスはこの女の行動に対し、ここまで言ってしまっている。やはりこの女性はイエスにとって特別な女性ではないだろうか。
 イエスの語ることに賛同し、ついていった弟子達と、イエスを“熱烈に慕った”この女の気持ちとにはずれがある。イエスに対してそうしたプライベートな気持ちを持ち得るのは、通常肉親、すなわち聖母マリアだけのはずである。

 マドレーヌ寺院の中の椅子に座って、正面のマグダラのマリア像をじっと眺めていると、そうした考えが次から次へと現れては消える。
「マグダラのマリアはイエスの妻だった。」
という考えが、ダ・ヴィンチ・コード以来もっぱらの話題であるが、パリにいると、
「何今頃そんなこと言っているの?当たり前でしょう。遠い昔からの周知の事実です。」
と言われているような気がする。

 どうやら僕は、マドレーヌ寺院に来ることによって、突然、偏屈で保守的カトリック信者になってしまったようだ。距離を置いていたうちはいいのだけれど、あんな風に正面中央に十字架の代わりにマグダラのマリア像が置かれ、
「崇拝せよ。」
と言われると、残念ながら聖母マリアのようにはピュアーな気持ちにはなれない。マグダラのマリアを題材にしてミュージカルまで書いた僕なのに・・・・。
 ジョン・レノンは好きだけど、小野洋子には反発するのと一緒だな。次元は全然違うけれど・・・・。

聖母マリアとフランス

 では、聖母マリアに対する気持ちはフランスではどうであろうか?フランスではルルドという他のどの国でも真似の出来ない究極の聖地がある。つまり聖母の出現である。

 ある時、ベルナデットという貧しい娘のところに聖母が出現し、泉を掘るように命じた。そうして湧き出た泉には病気を癒す力があり、現在でも世界中からルルドの地に巡礼者がやってきて祈りを捧げている。
 不治の病が瞬時にして治ったり、足の不自由な人が歩いて帰ったり、次々と奇跡が起きた。人々は少しでもその恩恵にあずかろうとこの街にやってきて、泉の水を飲んだり、ペットボトルに入れて持ち帰っていく。僕もすでに12年くらい前に家族を連れて巡礼した。 おびただしい人の群れで常に賑わっており、街中土産物屋で溢れている。ベルナデットのおかげで街は潤っているが、この状態を聖ベルナデットが喜んでいるかどうか知らない。

 一方、聖ベルナデットの亡骸は、ルルドから遠く離れたヌベールという街の修道院の聖堂に静かに眠っている。亡骸は腐敗せず、まるで眠っているようである。しかしここを訪れる人は多くはない。ここに来ても奇跡が起きないからなのか。以前訪れた時、ラベンダーがとても美しかった。人々はどこまでも目に見える“現象”にとらわれているのか。だとしたなら悲しいことだ。

不思議なメダイ教会

 実はもうひとつ聖母出現の地がある。それは他ならぬパリなのだ。その名もズバリ「不思議なメダイ教会」。カタリナ・ラブレという女性の元に聖母が出現し、この姿をメダイにするように命じた。そのメダイには不思議な力があり、特に信仰の強い者が身につけると威力を発揮すると言われている。
 今回僕は初めてその教会に行ってみたが、聖堂に入った途端、全身が洗われるようなさわやかな気があたりを包んだ。勿論聖母が見えるわけもないが、ここに出現しても不思議はないなと確信した。ここでもマドレーヌ教会のように、中央に大きく据えられているのは聖母像であったが、マグダラのマリアと違って違和感を感じなかったのは、やはり聖母の故か。う〜ん、差別のようにも思える。一度罪の女となってしまったら、その後どんなに悔い改めても取り消せないのか?

 でも、これだけははっきりしている。聖母マリアはやはり特別なのだ。人はマリアに絶対的な清らかさを求め、聖母マリアは、やはりそれを受け入れる器を持った限りなく高い存在なのだ。
 僕は自分の作品でも書いているではないか。ナディーヌ。その清らかさ故に、妖精の国を統治する徳を有する存在。知性でもなく、意志でもなく、清らかさをもっているというだけで、限りない高みに到達し得るのだ。ゲーテも言っているではないか。

永遠に女性的なるものが我々を高みに引き上げていく
聖母マリア!その至高なる存在よ!!

聖母マリア出現の意味するもの

 聖母マリアは何故至る所に出現するのだろうか?何故イエスではなくて聖母なのであろうか?

 聖母はきっと我々になにかを訴えたいのであろう。しかし大抵は、聖母の言葉には耳を傾けず、聖母が現れたという現象、あるいは聖母が起こした奇跡という現象だけが一人歩きする。教会が建ち、聖地となって有名になる。人々がどんどん押しかける。でも聖母の想いは・・・・。
 近年、聖母の出現が頻繁になってくるのを聞くにつけ、僕には、聖母がなにかとても切迫した気持ちでいるに違いないと感じられる。

ノートルダム寺院

 ノートルダムは直訳すると「我らの女性」。ラテン語ではノストラダムス。聖母のことだ。ノートルダム寺院はパリのカテドラルである。女性的でやわらかいフランスのカトリシズムは、総本山を限りなく清冽な聖母マリアに捧げたのである。ステンドグラスの薔薇窓の優美さも、フランスを象徴している。
 この国では、イエス・キリストという父性よりも、聖母マリアあるいはマグダラのマリアという母性が優位なのは疑いようもない事実である。

今日に生きるフランスのカトリシズム

エルサレム修道会という不思議な修道会がある。何をしているのか知りたければ、平日18:00にノートルダム寺院から歩いていける市庁舎裏のサン・ジェルヴェ教会のヴェスペレ(夕べの祈り)に行ってみるといい。

 ここの修道士や修道女達は、特別に訓練されたようにとても素晴らしく歌を歌う。それもヴェスペレの場合、オルガンなどは一切使わず、誰かが音を取りそのままアカペラできれいにハーモニーをつけて歌うのである。
 絶対音感をみんなが持っているわけでないので、ピッチはいきあたりばったりで、調と調の間だったりして気持ち悪いし、途中でピッチが下がってくることもあるが、楽器を使わずに人間の肉声だけで奏でる音楽とはこんな美しいのかと感動させてくれる。

 この修道会にははっきりとした目的がある。それは「砂漠にオアシスを」というモットーによって貫かれている。大都会は現代社会が生み出したひとつの現象である。その現象の中であらゆる否定的な感情が成長し枝を広げている。孤独、疎外感、絶望。
 “都会は砂漠である”と彼等は言う。そして、その砂漠に癒しをという目的で彼等は祈り、半日働き、また祈る。彼等は“都会に生きる”ことを目的とした修道会なのである。

 実際、この教会の礼拝に参加すると本当に心が癒されるのを感ずる。ミサでは後半、アニュス・デイ(平和の賛歌)に入る直前に、会衆みんなで、
「キリストの平和」と唱えながら、日本ではお辞儀をする場面があるが、ヨーロッパではお辞儀ではなく握手をする。
 この教会ではその時、シスター達が会衆の方にやって来て、
La paix de Christ !
と言いながら両手でしっかり手を握り合う。これがなんとも癒し系で良い。
 聖体拝領の時も、大事そうに聖体を持ってきてパンとワインをくれる。聖体を本当に大切に思っているのがひしひしと感じられて胸が熱くなる。
 普遍的という意味のカトリックにおいては、ミサはどこでも一緒と思っていたが、ここまで個性的にミサをあげられ、ここまで信念を持って活動するこの会は凄いなと思う。そしてそれを支えているフランスのカトリック教会も素晴らしいと思う。

ベツレヘム修道会のミサ

 娘が住んでいるアパルトマンのすぐ近くには、ベツレヘム修道会の教会が二つある。ここもエルサレム修道会と同じ路線で癒し系なのだ。しかし歌に関しては、随分印象が違う。ここは男性の修道士はいなくてシスターのみ。だからより清冽な響きで統一されているし、時々は大胆な東洋的旋法なども取り入れて特徴性を出している。
 パリを出発する直前の日曜日、古い方の教会のミサにあずかる。ミサが始まってすぐ、会衆がみんな並び始めた。なんだろうと思って一緒に並んだら、前の方で神父様が何かを振っていて信者はひとりひとり頭をかがめてそれを受けている。その時響き渡っているシスター達の合唱の美しいこと!
 僕の前の人の時、神父様は葉のついた枝を大きな瓶の中に入れた。そして前の人に続いて僕の番。見よう見まねで頭をかがめていると、突然バサッと水が大量にかかった。どうやら聖水をかける儀式らしい。それにしても大量だ。めがねに一杯かかって前が見えない。

 パリのカトリック教会では、どうやら教区教会よりも修道会の活躍が素晴らしい。それぞれの修道会がはっきりとした特徴を持ち、その信念に従って活動している。威圧的ではなく、どこまでもしなやかでいながら大都会の中で現代としっかり向き合っている。
 それに比べて日本のカトリック教会はどうだろう。かつてドイツ一辺倒だった日本の音楽界や音楽教育がどことなく堅苦しかったように、必要以上に権威主義となってはいないであろうか。

 ヴァティカンのサン・ピエトロ寺院に行ってみて驚いたことがある。日曜正午には、サン・ピエトロ広場にて教皇の挨拶があるが、イタリア人巡礼団達は、まるでサッカーの試合かなにかのように大騒ぎしながら教皇を賛美する。それが理想的な賛美の仕方かどうかの議論はさておいて、総本山では案外こんな自由が許されているのである。
 カトリック教会は、今日、我々が考えるよりずっと開かれているような気がする。だとしたら日本もフランスの教会のような行き方を学んだらどうなのだろう。きっとこうした路線は、繊細な日本人の感性に最も合っているように思えるのだが・・・・。


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